2023年から2024年の厳冬期にかけて、福岡という地(なるべく地磯)に限定してヒラスズキを狙う・・という、犬も食わないような目標を掲げ、数ヶ月・・。
今・・。
精も根も尽き果てた自分がいて、「俺よ、どうした・・?」という気持ちで自分が自分自身を・・抜け殻のようになってしまった残骸(自分)を俯瞰で見ている・・。
一体・・本物はどっちだ・・?
福岡の磯が、Cの海(時化にくい季節で、イージーにヒラスズキを狙いにくい状況)に成り果てるまで、もって数日だろうか・・。
そんな5月上旬現在・・。
福岡の磯にはカウントダウンが迫っていた・・。
もしかすると、次の時化が最後かもしれない・・。
普段の自分なら、睡眠時間を度外視に、家族の時間を後手に回して磯に立っているはずで・・。
きっと、シーズンの終焉を惜しむように1投・・1投を大切に、このシーズンで生まれた思い出の良いことも悪いことも一切合切の断片的記憶を思い返し、それを嚙み締めるように風と波を脳波に同調させていたはずで・・。
けれども、僕は時化の終焉よりも1ヶ月ほど先に果ててしまった僕は、磯へ立ちはしなかった。
時化の日・・。
前日からワクワクが止まらなかった心は、鈍重になって動く予兆すら掴めない・・。
ヒラスズキ釣りの代用となる何か・・も見つからず、たいして有意義なことをすることもない。
ただ僕は、家にひきこもり、アンインストールすら忘れていたウマ娘(スマホゲーム)を2年ぶりくらいに開いては、無感情にソファーに寝そべって終日時間を浪費した。
そんな翌日・・。
時間を無駄にしてしまった後悔と、釣りに行かなかった後悔に苛まれ、精神の減衰を感じた。
けれども、そんな鬱屈した状況が続くと、それが日常となり、当たり前となり、ウマ娘達と日々向き合うことがデフォルトとなり、釣りが・・ヒラスズキが・・磯が・・最近まであったはずの日常が別次元のように遠くなった・・。
今日の雑記は、「雑記」と言うよりも「手記」と呼ぶべき内容かもしれないが、僕のここ最近の変化について書いてみようと思う・・。
ここ最近・・「switchがCんだ」という噂が極小界隈で徘徊しているようですが、しっかりとダラダラと生きてます。
生きてる証を・・。
存在の証明を手記として書き落とそうと思います。
広義的には4ヶ月、狭義的にはたった2ヶ月ほどのヒラスズキが釣れない・・若しくは釣りにくいと言われている厳冬期・・。
そんな厳冬期の福岡において、ヒラスズキが釣れる情報が皆無で、誰も磯に立つ人はいなかった。
だからこそ、燃えるのが自分というマイノリティな人間で、そんな難易度の高い状況に不敵な笑みで嘲笑い、勇み足で磯に立った。
寒さで手足の感覚も薄れ、生命感のない海況に何度も何度も弄ばれて家路につく・・。
フルボウズの繰り返し・・。
《磯ヒラ師》とは何なのか・・?
そこから無数に延びていくそれぞれのスタイル・・。
自分は、多分・・1尾の価値だと思った。
大きさや数なんて関係ない・・。
その時、その場所で、どんな過程で、どんな想いで出逢えたのか・・。
その価値を、その付加価値を1尾に乗せることの面白さこそが僕の求めている本質なのかもしれない。
釣れない代わりに想像力だけが肥えていく。
大して収穫のない情報を持ち帰っては空想を広げる・・。
当てのない仮想の根拠の精度を高めていく無限大のそれは、果たして《釣り》と呼ぶべきなのか、それとも《計測》と呼ぶべきなのか定かではあるが・・。
2月の末・・海水温の下降が止まったタイミングでヒラスズキをキャッチして以降、音もなく何か心の部品のような何かが破損した。
それは小さく、心の運転になんの支障もないくらいの小さな部品かもしれないが、ゆっくりと加速度的に崩壊の連鎖が増していくこととなる。
それがロマンや熱量の類の雲散であることが分かったのは、そのキャッチから幾数日が経過した後のことで、雲散(ウンサン:雲が風に飛ばされて消えるように、跡形もなく消えること)ではなく耗散(コウサン:減ってなくなること)だと自覚したのはさらに後のこと・・。
それ以降、自分の異変に気が付きながらも磯へと通い続け、仲間達と戯れ続け、「何かが違う・・」という違和感が常に付き纏いながらも、その場の潮風と波音で誤魔化して、今に至る・・。
5月中旬の今、宣言しようと思う・・。
僕は燃え尽き症候群だ。
異動になってしまって、仕事量が増えた分もあるが、磯に立つ意志や資格を喪失した訳だ。
家でゴロゴロする時間が余るほどあった。
今・・娘の歓迎遠足を終えて、海況的には時化日で今から磯へ行くタイミングになるが、磯へ行かず手持ち無沙汰な僕は磯へ行かずにネットフリックスで「硫黄島からの手紙」を観たし、一昨日は「ONODA」や「プライベート・ライアン」を観た。
先週は数ヶ月前に買って置いたままになった小説を3冊ほど読んで、明日は「戦場のピアニスト」と「西部前線異常なし」を観ようと考えているところだ。
この症状・・この状態を充電期間と称すれば別に誰もが年に1度や2度ある季節的なアレなのかもしれないが、時は5月だ・・。
自分に鞭を打ってでも磯に立たなければ6月に時化ることはきっとない・・。
一度堕ちてしまった精神をあの状態に引き戻す労力
今・・それを考えている・・。